本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

すごすぎる佐野洋子*シズコさん


パンダのキーホルダーのために買った新潮文庫、2冊目は佐野洋子シズコさん 』です。これは凄い本です。まじすごみがあります。たまげました。いつもはお気楽に本やらDVDやらを、あたりとかはずれとか、暢気に評価してますわ。しかしですね、このエッセイには、そんないつもの基準を忘れさせる威力がある。本に引き込まれて日常に浮かんでこられない、みたいな感覚を久しぶりに味わいました。

中は24の章に分かれており、1本あたりの分量は(簡単に字詰めを計算した・笑)多少変動があるものの、5000〜5500字くらい。原稿用紙に換算すると13〜14枚くらいってとこか。著者が体験したり、身近な人から聞いたと思われるエピソードから話を起こし、連想が自由に伸びてゆくのに任せたみたいな書きぶりで母-娘のこゆーい確執が様々な側面から綴られる。これでもか、これでもかと。


  • 私は母さんがこんなに呆(ぼ)けてしまうまで、手にさわった事がない。4歳の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。私はその時、二度と手をつながないと決意した。その時から私と母さんのきつい関係が始まった。p7

たぶんなんだけど、著者は執筆前に「これをこの順番で書こう」みたいなことは、きっちり決めなかったんじゃないか。何度も出てくるエピソードがあるし、悲しい記憶のほか、恨み、つらみ等々、重複しているといえば、かなり重複している表現が見られます。ひとりのモデルの全体や部分を、あらゆる角度から書いたクロッキーやデッサンがぎっしり詰まった、スケッチブックのような印象を受けるなあ。なので、普通だったら「またか…」という感じで内容に飽きそうなものの、『シズコさん』に限っては、同じエピソードや表現が何度も出てきても気にならないし、ぐいぐい引っぱられる。

この秘密はなんなのか。ありきたりだけど、内容と筆力のなせるワザに加え、母を分析したのと同じ目が己にも注がれているから、読者に向かって開かれた作品になってるんでしょう。自分のことを「哀れで可哀想」という位置に固定させてしまったら、読むに堪えないような、ネガティブな感情の掃き溜めになってしまいそうだもん。母親と自分の双方を赤裸裸に綴るという視点のフェアさが、作品を作品たらしめているんだろうな。



「自他を同じように眺める」って、当たり前のことだと思ってたけど、決してそんなことはないのだね。普段つき合っている友人知人はこれができる人がほとんどなので、自分のことを見事に棚上げし、相手が悪いんだと繰り返す人が目の前にやってくると心底びっくり。これが世間のフツーなのか…とくらくらします。おまけに、最もやらかすのが、我が母だったりするのよ。ジンセー困るよ(笑)。

母が何十年も文句を言い続けているのが、自分の母親(私から見ると祖母)。ウチは家庭環境がちっとややこしく、母を産んですぐ亡くなった実母と育ての親というふたりの親がいて、母は「血がつながっていないから、あんなに辛くあたったのだ」と思い込んでいるフシがある。亡くなってもう十年以上経つのに、まだ文句をいっているとは。いい加減にしてほしいですわ。とほほ。

いいたいことをずばずばいう天然系のキャラなので、母は人間としては面白い部類に入るかも。しかし、親としては問題がないとはいえず、私と弟はずいぶん困ったり、恥ずかしい思いをしましたわ。で、彼女は見事に、あんなことやこんなことを覚えてないの。暖簾に腕押しとか、馬の耳に念仏とか、シジフォスの戦い等々の言葉がふつふつと浮かぶなり。ため息。

母が祖母に対して抱えている感情の塊に比べれば、私が母に対して思ってることなんて、ほんと可愛らしいレベル。おばあちゃん子だったこともあって、幼いころより母とは微妙に距離感があったのも、恨みを山のように積み重ねる方向に動かなかった要因かもしれませぬ。大学進学にかこつけ、実家を逃げ出してしまったし〜。



まあ、一般論的にいいますと、同性の親との関係は難しいです。そうじゃない人もいると思うけど、「いっちゃいけない」ことになってるから、みんな個々の難しさをいわないんじゃないか。恥ずかしいしさ。ただ、確率として考えると、「とても仲のいい母娘」と「とても仲が悪い母娘」が同率。残りの親子(おそらく大部分)が「時に仲が良く時に悪い」という混合タイプで、母親とうまくやっている人が決して多いわけじゃないと思うんだ。なので、いっちゃいけないことになってるのって、現実離れしているし、不自由じゃありませんかね。

強烈な母ー娘関係を、作品に仕上げた佐野洋子さんの功績は大きいと思うな。「こういうこと、いってもいいのか」と、救われた人が非常に多い気がする。アマゾンのレビューにも、その一端が表れてるのでは。母にすすめるかどうかは考え中(笑)。「面白かったよ」と付箋を付けて、なにげに荷物の中に入れておこうかね。死を自覚した作家が遺す「白鳥の歌」とも呼ばれる作品は、渋く枯れたものが多いけど、佐野さんのは生々しくこゆい。読者の感情の塊に、風穴のようなものを開けるパワーに満ちてて圧倒されました。


*芋蔓本*

  • 佐野洋子と同年代(2歳年下)の作家・森瑶子が、セラピスト河野貴代美に語った、セラピーの記録。1985年に出た本ですが、色あせない内容なり。今も文庫本で読めるようです。

  • こちらは女優・東ちづるがカウンセラー長谷川博一に語った、母ー娘の関係の記録。書くことのプロではないことを考えるとよく書けていると思うんですが、吐き出された感情ばかりが目立つ感は否めず。作品としてはどうかなあとも思うけど、有名人がカミングアウトすることで開く風穴は小さくないだろうな。

  • 性格やキャラの問題ではなく、身体のレベルで親子関係はある程度決まってしまうという視点を提示する1冊。どうしようもないことは、どうしようもないのね。頭の中に「どうしようもないこと」という引き出しを作ると、ラクになるですわ。