本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

乾いた異国趣味*梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』


青いガラスの魚はトルコのもの。作品中にも出てくる魔除けの「目」がどこかにあるはずなんだけど、見当たらなかったので似た作りのお魚マグネットで代用

梨木香歩の4冊目いってみます。『村田エフェンディ滞土録』04年、角川書店。著者渾身の力作『沼地のある森を抜けて』の前年に出た本ですね。トルコに留学している林君(アマゾンの紹介文は、なぜか君付け。ならうけど、どうしてだろ?)の独白の形をとった滞トルコ記です。

時は1899(明治32)年、彼は考古学の研究のため官費で留学している。費用を出しているのはトルコ政府のようなので、正確を期すならばトルコの国費留学生ということになるのかな。彼はイギリス人のマダムが経営する下宿屋で暮らしており、当のマダムのほか、いかつい顔のドイツ人研究者(サッカーのGKカーンが浮かんだなり)や、やたらイケメンのギリシア人、下働きのトルコ人などが同宿者。

古い雅文を思わせる淡々とした筆致で綴られていまして、読んでいて心地がいいんだなあ。で、舞台がヨーロッパなので世界の感触はだいぶ違ものの、ほぼ同じ時代を描いた森鴎外の『舞姫』がなんだか思い出された。『舞姫』が発表されたのは1890(明治23年)。鷗外のベルリン留学は1884〜8年の4年間だったようなので、100年以上前になりますか。1世紀以上前のベルリンって、どんなとこだったんだろう。距離以上に、今からみると時間的な距離に大きなものを感じる。

ヨーロッパに対する知識や情報量って、住んでみないと分からないことが極めて多いにしても、この百年の間に飛躍的に拡大したんじゃないか。たとえば、過去のベルリンを舞台にした新作の小説が発表されたとしたら、いったいどれほどの人が、明治の人々が『舞姫』を読んで「おおっ」と驚いたような異国情緒を感じるだろ。

幸か不幸かトルコに関して私はほとんど知らないため、『村田エフェンディ…』を読んでいると、エキゾチシズムにどっぷりと浸かることができるのよ。時間と距離の隔たりが、読んでいて楽しい文章の異空間をつくっているというか。なので、この本はあたり。


タイトルにある「エフェンディ」は学問を治めた人に対する敬称で、日本語でいえば先生みたいな意。「滞土録」は、見慣れない文字列だわね。「なんのこっちゃ」と思いましたが、トルコの漢字表記「土耳古」の土の字を取ったもの。簡単にいえば、トルコ滞在レポートってとこでしょう。

これがくせ者だった(笑)。昔ジョーダンで「どじこ」と読んでいたら、「土耳古」の字が表れるたび、頭に「どじこ」の音が蘇る。頭が柔軟だった若いころは、冗談である「どじこ」と、正しい「トルコ」を並列して頭から呼び出すことができましたが、この調子だと「どじこ」のみが残りかねない。そろそろ記憶を補正しなきゃいけないかも。参ったね。

『西の魔女』で封印しそうになった梨木香歩ですが、すっかり贔屓になりました。楽しみが増えましたわい。林君が大喧嘩中(?)の神様たちに向かって一喝するする下記のシーンなんて、すごくいいよ。にやり。

  • 曲がりなりにも人々から敬われ、尊ばれてきた身であろう。その成れの果てがこの有様か。もっと志高く、品格を持ち、人が自ずからその足元にひれ伏したくなるような神々しさを漂わせたらどうだ。それが無理というなら、少なくともその道に努めるべきではないか。もし神々が御自らをして向上心を発さるるなら、その神格、益々高まらんこと、必至ではないか。P149

大声でわっはっはと笑えるわけじゃないんだけど、じわ〜っと効いてくるたぐいのユーモアが、梨木さんの得意技のひとつとみました。