本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

タイトルがねえ*オニババ化する女たち


今日は暑いでございますねえ。天気予報は31度の予想だったけど、湿度が高いのでもっと暑い感じ。夏は好きだけど、お天気が蒸し蒸しすると水分の蒸発が妨げられるのか、すぐにむくみます。名実ともに身体が重いですわ(笑)。今日も本棚に入れっぱなしになっていた本をいってみます。三砂ちづる「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す 」光文社新書。この本、ものすごく売れたんじゃないでしょうか。私の持ってるのは05年の10刷ですが、さっきamazonを見たらレビューの数が330。さんびゃくさんじゅう〜って。

昔ばなしなんかに出てくるオニババを三砂さんは、こう捉えている。

  • からだが実際に具合が悪くなってしまったり、たいへんイライラしてしまって、人を全く受け入れられない人間になってしまったり、ものすごく嫉妬深くなったり、自分ができないことをしている人を見るととても許せなくなったり…。自分のからだを使って、性経験や出産経験を通じて穏やかになっていく女性とは正反対の方向に行ってしまうわけで、そういう人たちを昔はオニババと呼んだのでしょう。p153

女性が命を育む性であり、「身体もそういうふうにできている」ということに異論はありません。妊娠・出産という次の世代を継いでゆく女性の生物的な力を過小評価すると、あちこちに弊害が出てくる、という指摘にもうなずけます。だけどね〜、頭の中にず〜っと違和感がかなりの面積で鎮座しているのはなぜ。私にしては随分考えましたよ(笑)。


以下、違和感を思いつくまま挙げてみます。

  • しっかりからだに向き合って自分が変わって行けるような、「原身体経験」としての出産経験を「変革に関わるような出産経験」(TBE)と呼んで定義を試みています。p130

1・三砂さんがいうTBEは、コリン・ウィルソンのいうところの「至高体験」に近いんじゃないかな。命をかけて真剣勝負のように何かを経験をすれば、そりゃ自己が変革されるように感じるのは当然ですわな。だけど、「出産経験を通じて女性は大きな変革をとげることができる」(p135)点を強調しすぎると、他の経験を通じての成長(くさいな・笑)が霞んでしまわないか。子どもとの関わり以外にも、スポーツでも仕事でもボランティアでもアートでもいいけど、人が変化する機会っていろいろあると思うんですよ。向き・不向きを無視している気がする。


  • 放っておいたら自分で相手も見つけられないような人たちのほうが、本当は数が多いのだと思いますし、弱者という言い方をすると非常に語弊があるのですが、メスとして強くない人、エネルギーがそんなにない人たちのほうが本当は多いのではないでしょうか。p139

2・なるほど。だけどね、三砂さんがサイレント・マジョリティとして捉えている、「メスとしてエネルギーがそんなにない人たち」の声がないんだな。ポリネシアやブラジルでのフィールドワークで得たエピソードや、日本では花柳界の元姐さん方や、地方のおばあちゃんへの聞き取り調査に基づくらしい興味深いお話は出てくるんだけど、結婚や出産を意識的にしろ無意識的にしろ、現在進行形でためらっているだろう層のリアルな例がない。「多数派」と考えてるのに扱いがこれって、ウィークポイントじゃないか。



  • こういう言い方をすると本当に失礼なんですけれども、大した才能もない娘に、「仕事して自分の食い扶持さえ稼げればいいんだよ」とか、「いい人がいなければ結婚しなくてもいいんだ」というようなメッセージを出してしまうことは、その子にとってものすごい悲劇の始まりではないかと思うのです。p143

3・「大した才能もない」人には「結婚」というルートがあった方がいいという物言いも気になる。己の才能や能力を客観的に評価し、自ら女としての古典的な道を選ぶっていうんなら、文句はありません、もちろん。著者の直截な表現には好感がもてるけど、他人にこういうことをいうのはどうでしょ。評価に関わらず、やっている当の本人が満足しているなら、どんな生活を選ぼうと問題ないと思うけど。

生き方やら何やらに、お節介に口を挟むタイプの人を、私は下品に感じるので、かちんときました(笑)。アドバイスを求められたら「こういう道もあると思うけどね〜」というくらいのスタンスだったら、すんなり聞けると思うんだけど。田舎育ちなので、周囲のおばちゃんたちが「あーだ、こーだ」といいたい放題だった遠い昔を思い出し、げんなりしましたよ。おほほ。

4・あと、他者から評価されるような成果(仕事やニンゲンの再生産)を出さないと生きている価値がないんでしょうかね。いいじゃん、毎日を淡々と積み重ねるだけで。ジンセー、何が起こるか分からないですよ。選べないことの方が多かったりしませんかね。目的をもつことは悪いことじゃないけど、それが行き過ぎると頑なさばかりが目につくような人になる気がする。へたれの私はあんまり近づきたくないな。


  • 昔からの知恵で、女性はやはり相手を持って、性生活があって、子どもを産んで、ということをしていけば、ある程度の、女性としていい暮らしができる、という知恵を、なんとか伝えようとしていたのでしょう。p142

5・う〜ん。これも今の社会状況では素朴すぎる発言のような気がしますわ。女が子どもを産まなくなったことは、今の社会や時代性に適応した結果でもあるはず。男性側の変化に対する目配りも必要でしょう。女性の「心がけ」だけで、なんとかなるような状況じゃないと思うんだ。


30代で2児を出産したライター仲間は「フリーの仕事だから、フルタイムの仕事の方を優先します」と保育園は待機。その後、紆余曲折あってなんとか入園できたものの、ライターの仕事なんて定時に終わりませんわ。そのたびに「園長先生と交渉している」と聞いて、あまりの大変さにくらくら。わたしゃ、できんと思いましたよ。

まあ、子どもが産めた年齢の時に卵巣がトラブり、「子どもが欲しいなら急ぎなさい」とドクターにアドバイスされましたが、最初のダンナが子どもはいらない人だったため、結局ニンシンは叶わず。ジンセーは思い通りに行かないことを地でいっておりますよ、私。なので、はんぱもんの戯言ですわね(笑)。

著者の三砂さんは

  • 子どもは親だけでなく周囲や社会で協力して育てる
  • 20代前半の若い時期に出産してから仕事に就くのもあり
  • 従来の結婚制度にとらわれないでパートナーを探すのも手

など、保守的な人なら目を剥きそうなものを含め、さばけた姿勢の提言をされてます。ただ、この本を読んで自分を肯定できる気分になる人は、ごく少数じゃないかな。問題提起に力を注いでいるので、共感を呼ぶことは目的にしてないとは思うんだけど、読者が「私はまずい道に踏み込んでいるのか…」と救われない気分になるのはいかがなものか。

テープの談話を起こしたような文章なので、私はゼミくらいの人数を前に「先生がざっくばらんにお話ししている」みたいな雰囲気を感じましたわ。多くの読者を獲得して、一番びっくりされたのが著者だったりする可能性はないでしょうかね。ともあれ、身内に語るような面白く、かつ濃いめの味付けのお話が、予想以上の反響を呼び、その結果、お話の味付けや言葉の足りない箇所等々の本筋ではない部分が、異常な数の攻撃や批判の対象(amazonのレビュー数:さんびゃくさんじゅう〜)になった、というような事情があったりしてね(想像)。

本を閉じてから思い出す内容が、タイトルの「オニババ」に引っぱられる危険もある。下手をすれば「子どもを産まないとオニババになる」みたいな脅迫にならんでしょうか。奇抜なメイクを思い出させる「ヤマンバ」か何かにした方が、笑える雰囲気が加味されて良かったのでは。このタイトル故に多くの人(私も含めて)手に取ったと思うんだけど、ちょっとね。

多くの女性がオニババ化してしまうかも、という状況を踏まえた上で「じゃあ、どうしたらいいのか」について書くためには、学者という立場は不自由なものだったかもしれませぬ。その後、三砂さんはボディワークの分野に踏み込んだ著書を何冊か上梓されているようなので、この点はが十分ご承知のようにも思えましたよ。読者を考えさせるという意味では良書だと思います。今度、他著もチェックしてみよ。

*芋蔓本*

  • 三砂ちづる「昔の女性はできていた 忘れられている女性の身体に在る力」(宝島社文庫)は、月経を題材に昔の女性が身につけていた身体の知恵を検証しているようです。
  • 内田樹三砂ちづる「身体知-身体が教えてくれること」 (木星叢書/バジリコ) はウチダ先生とミサゴ先生による身体的思考をもとにした新しいコミュニケーション論(amazonの紹介)。内容はどうかな。
  • コリン・ウィルソン至高体験自己実現のための心理学」は河出文庫になって手に入れやすくなったですね。おもしろい本です。
  • ルドルフ V.アーバン、片桐ユズル訳「愛のヨガ」(新泉社)は文中に何度か出てきます。持ってるんだけど未読(笑)。