本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

銀杏とか蝸牛とか*梨木香歩『沼地のある森を抜けて』



風邪が一段落した感じなので、梨木香歩の3冊目いってみようと思います。『沼地のある森を抜けて』05年、新潮社。これは非常に興味深い小説ですねえ。生殖がテーマになってる。生殖といっても、恋愛絡みでできちゃったとか、できないとか、男女が右往左往するような話ではなく、もっと根源的で抽象度の高い世界。主に糠床(!)を発生源にするらしいナゾの人類および、菌類の生命について描かれてます。

「へっ?」という感じでしょ(笑)。本を読みはじめた直後は、「おお、この女主人公が、このへんの男子と恋愛関係になってゆくのかな」なんて予想してました。ところがどっこい、読み進めるうちに、そんな分かりやすいストーリーじゃないのがみえてくる。

3章あたりで、それがはっきりする感じ。どこか別の場所にあるらしい不思議に穏やかな社会の様子が、2章おきに、すこ〜んと挿入される(3・6・9章)のね。これを読むと、この小説が見渡している世界観が、じわ〜っと伝わってくるんだな。

  • 毎日夕食が始まる少し前に、決まって市庁舎勤務の叔母たちが歩く規則的な跫音が響く。家の窓から、丸い敷石が夕日の光に柔らかく輝く舗道の上を、彼女たちが列をつくって帰宅するのが見える。青灰色の円錐形のスカートが、橙色の夕暮れの光を浴び、淡い薔薇色に染まる。数十のそれが動くたび、微妙に輝きが波をつくってさざめいてゆく。僕はそれを見るのが好きだった。単調な生活の中に美がある。p119

なんですか、これ。一瞬、北園克衛の『円錐詩集』みたい、と思っちゃいました。淡々と繰り返されるミニマル・ミュージックのような味わいがありますわ。そんなことを思いながら読み進んでいると、この世界がどんどん不穏な空気に満たされてきたりする。え、何が起きるんですか。世の終わりですか、みたいな気配。

細胞レベルの世界を擬人化して書いたという点では、倉橋由美子の『アマノン国往還記』と似たところがあるかもなあ。本を閉じてしばらくしてから、「あっちゃ〜っ、そういうことだったのか」と入念に組み立てられた世界観のシュールさに頭がくらくら(私がぼやっとしてるから時間差が生じるのかもしれないけど)。興味のある方は読んでみてね。

著者はこの本の執筆に4年をかけ、「命がけの仕事」と語ったこともあるそうで(詳しくはwikiへ)。「渾身の力作」という紋切り型の表現は、本の帯なんかでしばしば見るけど、この本に関しては誇張じゃなく、まんまだった模様です。すごい。

おかしかったのは、この本を読んでいる間中、冷蔵庫で眠っている糠床をかき回したくなったり、「そういや〜、イチョウやカタツムリって、へんな生殖法しなかったっけか」と理科の時間の記憶をたぐったり、妙な波及効果が我が身に及んだこと。糠床づくりの本も棚から引っぱり出してきました。