だんだんわけが分からなくなってくる*エリコ
昨日、紹介した百田尚樹の「モンスター」なんですが、一気に読み終えたのにもかかわらず、かなり物足りない気が。話の筋はそれなりに面白いので「なんで物足りないのか」をちっと考えてみたところ、材料の未加工感が気になった、ってことかなと思い至りました。
例えばヒロインが足繁く通う美容整形クリニックのドクターが、美しい顔についての蘊蓄をしばしば語るんだけど、これがこなれてない感じ。取材ノートをまんま書いている雰囲気といいますか、美容整形の本に出てきそうといいますか、記述がこの医師のキャラクターに与していないんだわ。著者はこの人物を掘り下げようと思わなかったのかもしれないけど、解説を読んでいるようでつまんない。
カレーを作るために材料もスパイスもしっかと集めたと聞いていたのに、出てきたのは未調理の素材そのものだった、って喩えると厳しすぎるか。期待し過ぎでしょうか、自分(笑)。
で、次に何を読もうかな〜と思って本棚を眺めていたら目に入ってきたのが、10年以上前に購入した谷甲州の「エリコ」(早川書房刊)。帯のコピーが刺激的ですよ、「嗜虐と倒錯のバイオサスペンス」だって。なんのこっちゃい。おほほ。
本を買ったころは夕刊紙(エッチな記事も載ってる午後に発行されるあれです)に生活情報を書く仕事もしていたので、掲載記事のチェックのためにちょくちょく買ってました。で、記事をファイリングしてしまうと、他をあまり読まないで処分することが多かったです。
唯一の例外は、意外な本を愛のこもった熱い筆致で取り上げてたりする書評欄。贔屓の多田智満子の「森の世界爺」(人文書院刊)が載っているのに気づいて以来、良く読んでたかも。ちなみに世界爺は、<せこいあ>と読む、当て字です。ご興味があるようでしたら、前のブログに記事があります。さっき再読してみたところ、まじ内容ないですけど。ぼりぼり。過去ログへのリンクは個人的なメモとお考えくださいまし。
閑話休題。谷甲州の「エリコ」に戻ると、買ったきっかけは夕刊紙の書評だったはず。舞台は22世紀の大阪で、主人公「エリコ」は美貌の高級娼婦で元男性。で、彼女を守る役目を担った「胡蝶蘭」は、武闘派の女子。これだけでも性別とジェンダーがばらばらになっておりますが、さらに「エリコ」の遺伝子をコピーしたクローン男まで乱入してきて、話はいっそうフクザツに。
バリ舞踊にクビャール・トロンポンという、男性ダンサーが男装した女性を演じるという有名な演目があり、
「ええっと、これは男が女を演じているんだっけ。
んにゃ、男のふりをしている女という設定の人物を男が演じているんだっけ」
と見るたびに混乱。この性のねじれによる混乱というか混線が、面白さの重要な部分になっていると思う。その点で「エリコ」とクビャール・トロンポンには、「だんだんわけが分からなくなってくる」という酩酊感いっぱいの共通点があると思うな〜。
なにぶん1500枚もある大作なので、ハードカバーは2段組みで厚さ3センチ超え。長いけどけっこう楽しく読めたですよ。これくらい話がふっとんでいないと、私は面白いと感じないのかもしれん。いやはや。
挿入した動画はガムラン界のベルリン・フィルことティルタ・サリによる、クビャール・トロンポン。画質は良くないですが、演奏の素晴らしさでこれにしてみたです。