本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

物忘れと開き直り


「2冊あるぜシリーズ」ができるくらい、2冊ある本が多いかも。インスタでレポートすれば、整理の弾み、もしくは放置防止策のようなものになるかなあ。今日の『中年クライシス』は既読の文庫本があるのに(付箋までついてるよ)、100円の単行本をうっかり買ってしまった ver. なぜ2冊あるのか分からないより、マシだと思いたいです。

2冊ある本の写真を撮り続けたら、副産物として
90センチ幅の本棚1段分くらいは減量できるかもなあ、なんて思う今日ころごろ。
河合隼雄著『中年クライシス』は、文庫本と単行本のセット。
文庫本には付箋が付いているので、わりとしっかり読んだと思われるのに、
うっかり単行本を買ってしまった、だれかさん。

ん十年前までは、ものごとを記憶することにあまり苦労したことはなくて、
まあ、興味のある分野も対象もごく狭いので、
把握できる量ったって大したことはないですが、
編集していたインテリア雑誌のバックナンバーだったら、
「○○さん宅は△△年の夏ごろの号、その2年後に再び伺っているはず」
という感じで10〜15年分は頭に入ってました。
母が愛読してた婦人雑誌も、
編み物のページだったら何がどこにあるかほとんど分かってたな。

それがフツーのレベルだったわけなんですが、
不惑を過ぎてから異変が生じ、とにかく探し物が多くなった。
「あれ〜、あれはどこいった?」
毎日何かを探す始末。
さっきまで手に持ってたものが見当たらないなんて、
ほとんどホラーだよ(お笑い系の)。

脳の機能の衰えといってしまえば簡単だけど、何が起きているんだろうね。
経年変化によってメモリーの目減り現象が発生するのか。
キャッシュがいっぱいになって、メモリーに余裕がなくなるのか。
使わなくなった機能として、一種の廃用性萎縮みたいなことが起こるのか。
昔は手で書いていた原稿を30代からPCを使って書くようになり、
覚えておかなければいけないことの質が変わったのは確かだけど、
いろいろナゾだ。

とにかく管理できるモノの量が減ってしまったことは確かなので、
モノの量を減らし、見える化をする。
幸い本は、並べることで見える化が自動的に完了しますわ。
最盛期(?)には700〜1000冊あった本が、
ここ数年の地味な努力(?)によってたぶん500〜700冊程度までになったはず。

しかしですね、2冊ある本がぼろぼろ出てくるってことは、
これでも多いってことですかのう。
今まで物量に覆われて、頭のネジがたくさん抜けてたことが見えなくなってのかもしれない。
やれやれ。



コンパクトな文庫本と、大きいけど司修が装丁を手がけている単行本。
どちらを残すのか決めようと思って、
『中年クライシス』をパラパラめくっていたら
こんな一節が目についた。


    • 人生五十年などと言われていた頃には、一生懸命に働きづめに働いて、六十歳になるかならぬかうちに疲れ果てて「お迎え」がくるというような、生まれてから死ぬまでが、一山超える軌跡をとったものだが、現代は平均寿命が長くなったので、八十歳くらいまで生きることになる。(中略)これからの人生は、一山型のカーブではなく、双子型の山の軌跡をたどることになる。1回目の山を超え、2回目の山にとりかかろうとするあたりが中年に当たると考えられる。(文庫のp10)

中年って、いったい何歳からのことなんでしょ。
wiki を見てみたら、45〜64歳あたりをいうらしい。
もろに真っ只中だ(笑)。

個人的には、河合隼雄さんがいうところの1回目の山が大変で、
若いころに戻りたいとは全然思わない。
ええ、お肌はすべすべだったし、へんな脂肪も付いてなかったし、
重力が見た目にどんな影響を与えるかなんて考えもしなかったですけどね。

当時の自分の耳元で何かを囁けるのなら
「もっとリラックスして、いろいろ楽しんでね」といいたいもん。
事務椅子の上に正座して、うんぬんいいながら
原稿を書いていた自分が思い浮かぶ。お疲れさん。頑張りすぎるなよん。

今いるはずの2回目の山は
「なんかジンセー楽になったかも」と感じ始めたころだったりするなあ。
ものを忘れることと、人生の楽さ加減は、
案外関連しているのかも。
これを開き直り、というのでしょうか。