本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

アカノマンマの咲いている

道端で撮った草や花の画像が溜まりに溜まってしまい、ただでさえ内容が一覧しづらかった画像フォルダが、わけの分からないことに。何もやらずに手をこまねいているよりはましだろうと、植物のブログを立ち上げ、おもに Instagram にアップした画像中心の記事を書いてました。

フォルダの中身は相変わらずボリュームいっぱいですが、デスクトップに並べた「使う予定の画像」は、なんぼか減った気がする。<asphalt flowers アスファルトのすき間>というのが植物ネタのブログです。ご興味があって、かつおヒマなようでしたら、ご覧くださいましね。

ところがですね、ここにきて微妙な悩みが発生。同じニンゲンがやっていることなので当然といえば当然なのですが、画像は植物なんだけど、書きたいことは本についてだったりする場合がある。ネタがまたがる場合、新ブログと<本の畑>のどっちのブログに書けばいいんですかね。困ったなあ(笑)。ま、記事を書いてから、文章が多いようだったら<本の畑>にあげるということにしときますか。



一番上の画像は都内の住宅街で咲いていたアカノマンマこと、イヌタデ。花を爪の先でしごいてバラバラの粒にし、おままごとの赤飯にしたりする、あれです(今の子どもは、んなことしないかもしれないけど)。西脇順三郎の渋〜い詩集『旅人かへらず』に、アカノマンマは何回か登場するですね。たとえば『アムバルワリア—旅人かへらず』(講談社文芸文庫)のp162。

一二三

あかのまんまの咲いてゐる

どろ路にふみ迷ふ

新しい神曲の初め


ぬかるんだ道に咲いているアカノマンマが、若くして亡くなった幼なじみの女性であるベアトリーチェ(彼女については諸説あり)を求めて冥界を巡るお話、ダンテの『神曲』にどうして結びつくのかさっぱり分かりませんが、とにかく「さすが順三郎!」といっておく。

詩人の脳内にはイタリア文学最大の古典といわれる『神曲』への造詣というか知識が、おそらく広大なひろがりをもちつつ蓄積されていたんでしょう。侘しく可憐な雑草の姿は、その蓄積を揺さぶり、言葉として流れ出させたということかな。理屈じゃ捉えきれないニンゲンの発想のおもしろさが、70年ちかく前に詩人が書いた数行に現われてる気がする。

本のリンクを貼るため、久しぶりに amazon で順三郎の本を検索したところ、講談社文芸文庫から出ていたエッセイ集は2冊とも絶版になった模様。なんと…(涙)。その代わりといったらなんですが、昭和8年に刊行された『Ambarvalia 』(読みはアムバルワリア)の装丁を模した愛蔵版の詩集が、10年前に日本図書センターから発行されていたようで。気づかなかったよ。買わねばね。講談社文芸文庫でも詩集『アムバルワリア—旅人かへらず』はアクティブ(?)でした。