本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

立原道造と花

昨日、ヤブカンゾウがらみ立原道造について触れましたが、彼は教科書に載るような超メジャーな詩人ではないんですわ。初めて読んだのが新書館から出ていたペーパームーンという雑誌だったかな。萩尾望都が立原の詩に合わせて、書き下ろしのイラストを毎号寄せる企画があり、それで読んだのが初めてだったと思うです。

ペーパームーンは実家にあるはずなので、画像をお見せできないのが残念なり。<昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン EMIT>というサイトに、スマートにまとまった情報がありました。「懐かしい〜」と思った方はどうぞ。トップページの下に設置されている検索ボックスに「1976年」と入力すると、ペーパームーンの記事を含めた一覧が出てきます。

手元にある立原の詩集は77年刊の旺文社文庫。紙が黄変してるだけでなく、擦れたりなんだりで、かなりくたびれてます。年譜とか研究者によるボリュームいっぱいの解説などが加わった構成に、若いころは教育的な配慮を感じて「……」だった記憶がありますが、今はなんだか懐かしい(笑)。(今はなき旺文社文庫についての記事はこちら

立原の詩の中で有名なのが<はじめてのものに>(旺文社文庫p33-34)かな。ペーパームーンでも萩尾望都がイラストをくっつけてたと思います。(以下引用の旧漢字とかな使いは、新しいものに改めています)

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰は悲しい追憶のように 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

その夜 月は明かったが 私はひとと
窓に凭れて語りあった(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のように 光と
よくひびく笑い声が溢れていた

ーー人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追う手つきを あれは蛾を
把えようとするのだろうか 何かいぶかしかった

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果たして夢に
その夜習ったエリーザベトの物語を織った


建築を学んでいた立原は、昭和12年3月に提出した卒業制作で「辰野金吾賞(銅牌)」を受賞。4月から新人として石本建築事務所に勤務してます。で、7月にこの詩をおさめた詩集「萱草に寄す」を上梓。微熱と疲労に悩みながら建築事務所通いを続けるも、翌年(昭和13年)喀血し、中野区の療養所に入所。昭和14年1月、前年度の業績に対して第一回中原中也賞を受賞し、同月、時をおかずに亡くなりました。24年の人生ですわ。長生きされてたら、どんな詩や建築を手がけられたのでしょう。

ワスレグサ、ユウスゲ、ヒヤシンス(詩集には風信子叢書という名前がついてますよ)など、立原が詩集に使った花は共通点がある気がするですね。花弁が厚めの漏斗状のお花といいますかね。建築家らしい目で構造を見てたかも、なんて思いました。

「立原の詩集を買い替えるなら、どこのがいいかな〜」と思って検索してたら、映画「ストロベリーショートケイクス」の原作マンガを描いた魚喃(なななん)キリコが、イラストを描いたアンソロジー(?)「僕はひとりで 夜がひろがる」パルコ刊を発見。amazonの紹介によると立原の生前未発表作品を含む56篇の詩と、魚喃描き下ろしイメージ画36点を収録したオリジナル編集、だそうです。

マンガ家を引きつける魅力が彼の詩にはあるんでしょうね。なんだろう。ちなみにタイトルになっている詩は記憶になかったんだけど、旺文社文庫に拾遺詩編として収録(p138-139)されてました。


裸の小鳥と月あかり
郵便切手とうろこ雲
引き出しの中にかたつむり
影の上にはふうりんそう

太陽とその帆前船
黒ん坊とその洋燈
昔の絵の中に薔薇の花

僕は ひとりで
夜が ひろがる

*芋蔓本など*