本の畑

えっちらおっちら耕す、本やら何やらの畑。情報は芋蔓のように地下でつながっている。たぶん

芝生のしゅーしゅーいう音


芋蔓BGMとして昨日、思いついたのが「夏草の誘い 」ジョニ・ミッチェル 。ふだんあまり聴かないCDは、玄関先(なんて場所だ…笑)の壁際に置いた薄型の棚に入れてるんですが、久しぶりに廊下にしゃがみ込んで、ジャズ系をまとめた下の段から順に捜索しました。わりにすぐ見つかったので、どういう内容だったっけ〜と、ぼんやりブックレットの歌詞を眺めてみたところ、あら、不思議な歌いだし。

男は女の喉(のど)を飾るダイヤモンドを買い
牧場の中の丘に建つ 大きな家に住まわせた
窓辺に立つ女の目に映るのはバーベキューの谷
目を細めなければならないほどまぶしい 陽の光をうけた青いプール
夏の芝生のしゅーっという音が聞こえる

こんな感じですかね〜。なにぶん英語力が猿レベル(お猿よごめん)なので、悪しからず(笑)。 hissing が意味を左右する大事な単語だと思うんですが、辞書を見てみたら hiss は、しーっ、しゅーという音を指すとあるんです。芝生のしゅーって、なんのことですかい。草丈のある植物なら、風を受けてさわさわ音がしてもいいと思うんだけど、いかんせん芝生じゃ風にそよがない。わけわかりません。そしたら、英語のブックレット内に日本語の歌詞カードも挿入されてたよ。無駄に難儀してしまった。がっくし。

彼女の喉元に光輝くダイアモンドを買い与え
彼は丘の上の牧場の一軒家に女を住まわせた
その窓辺から見えるのは谷間のバーベキュー
てりつける日ざしの中に青いプールのような湖
そして彼女は夏の芝生の焼ける音を聞いた(訳/室矢憲治

hiss は芝生が焼ける際の音のことだったのか。勉強になったぞ。私のはシュールな超訳ということで、笑ってくださいまし。歌詞はこの後、物質的には恵まれてるけど、満たされない感じの女の日常を物語のように描いてます。ものうげでキレイなメロディーに気を取られて、何十年も詞に注意してなかったけど、意味深長ですわ。

ここまで書いて、ジョニ・ミッチェルの歌を材料に、散文詩をコラージュしたような作品を片岡義男が発表してたじゃん、とひらめきましたよ。片岡義男著「 ミッチェル」 (新潮文庫) に収録されてる、表題作<ミッチェル>ですね。ぱらぱらページをめくってたら、例の部分を発見。3行しかありませんが、これは「夏草の誘い(THE HISSING OF SUMMER LAWNS)」の訳でありましょう。

13
丘の上に、彼女の住んでいる家がある。
窓からは、ほかの家のバーベキュー・ピットや、青い水をたたえたプールが見える。
夏の芝生の、鋭く蒸気を噴出するような音が、彼女に聞こえてくる。p16

初めからこの本を探せばよかった〜(笑)。今回、悩んだ hiss は、スプリンクラーがしゅんしゅん回る音を表現している可能性がありませんかね? 少なくとも芝生が焼ける音(焼き畑ではあるまいし、なぜ芝を焼く??)より、夏の芝生に水を撒き続けるスプリンクラーの回転音の方が納得できるなあ。


夏と芝生といえば、中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)村上春樹 に収録されてる短篇「午後の最後の芝生」も忘れがたい。この短編集を最初に読んだ時
「あれ、この話は前に読んでるし、ちょっと雰囲気が変わってないか…」
と思いました。初出を確認したら、82年8月の「宝島」誌上。村上さんは単行本化する際に、少し改作したのかもしれません。それにしても「宝島」を愛読してたわけじゃないのに、なぜかこの短篇はリアルタイムで読んでたりします。四半世紀以上前の夏のことみたいですよ。と、他人事のようですが、思わず遠い目(笑)。

私は芝刈りをした経験はありませんが、刈っても刈っても成長し続ける芝生っていうのは、お洗濯や掃除等々の家事にも通じる際限のなさがありますよね〜。その終わりのない感じ(生きているから当たり前なんだけど)が、暑さでへたれたニンゲンには、変わりばえのない毎日が続くことへの薄い嫌悪感を思い起こさせるのかもしれませぬ。元気に遊ぶ子どもたちの姿を横目で眺めながら、「あぢ〜、何もしたくない」と脱力する、大人の世界の味わいということにしておきたいです。

それにしても暑いですわね。今日、いっぱい書いたのは、なんと誕生日だからなのでした。年に一度くらいはたくさん書いて、ケーキ代わりの枝豆&ビールを楽しもうっていう魂胆です。

追記:一番上の画像がなんだか気に入らなかったので
15年前くらいに撮った写真を複写して差し替えました。
色が褪せてきてる…(*_*)